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日本三名城「大阪城」で歴史を堪能する観光ガイド

大阪の人気観光スポットで日本三名城の1つに数えられる「大阪城」。大阪にはたくさんの観光スポットが点在していますが、その中でもトップクラスの人気を持っています。日本人だけでなく訪日外国人の方もよく訪れる大阪城にはいったいどんな魅力があるのでしょうか?

今回は大阪城の歴史や基本情報、絶対に見ておきたいスポットを余すことなく紹介していきます。大阪観光を予定している方は、この記事で予習してからお出かけしてくださいね。

大阪城の基本情報

まずは大阪城の基本情報を押さえておきましょう。ここでは、大阪城の歴史や構造、アクセス情報などを紹介していきます。これを知っているかいないかで大阪城を訪れた時の楽しさや視点が変わってきますので、覚えておくのがおすすめです。

大阪城の歴史

織田信長が討たれた本能寺の変の翌年の1583年に、当時天下統一を果たした豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築城をはじめたのが大阪城の始まりです。天下統一をしたものの秀吉の天下はまだ盤石ではなかったため、自身の威厳を知らしめるために築城を急ぎ、1585年には天守が完成していたと言われています。天守完成後も城づくりは継続され、最終的に現在の大阪城公園の約4倍にまで範囲を広げていたそうです。

その後、関ケ原の戦いや大坂夏の陣を経て徳川家の物となりましたが、再築するにあたり豊臣時代の物は地中深く埋められてしまったため、豊臣時代の遺構はほとんど見ることができません。しかし、再築した2代目大阪城も1665年に落雷により焼失し、その後再建されるまでの266年間は天守不在のお城となっていました。

1931年に復興された現在の大阪城は秀吉時代の天守をモデルとしているとされ、お堀や石垣は徳川時代の物、天守は豊臣時代の物と少し複雑な関係になっているのが面白い所ですね。

大阪城の構造

お城の構造は大きく分けて4つのつくりがありますが、大阪城は天守が他の建物とくっついていない独立式天守という構造となっています。また、1931年に復興されるにあたって使われた建築技術は、当時の最高技術である鉄筋鉄骨コンクリート建築です。

現存天守や木造復興天守でないとお城らしくないという厳しい意見もありますが、近代建築としての評価は高く、国の有形文化財に登録されています。

大阪城と大坂城の違い

おおさかじょうには大「阪」城と大「坂」城の2種類の表記があるのをご存知ですか?元々は「坂」という字が正式な表記だったのですが、坂という字が”土に反る(返る)”、つまり城が落城すると考えられるようになったため、江戸時代辺りから「阪」という字が使われるようになったと言われています。

しかし、実はどちらも間違いではなく、明治以前は「大坂城」、明治以降で「大阪城」と区別しているのが一般的です。

大阪城のアクセス情報【駐車場・最寄りの駅】

【電車をご利用の場合】

大阪城へ電車で行く場合は最寄り駅がいくつかありますが、駅から徒歩で向かうとなるといずれの場合も約20分ほどかかります。

JR環状線・大阪城公園駅から徒歩約18分
大阪市営地下鉄中央線・谷町四丁目駅から徒歩約18分
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線・大阪ビジネスパーク駅から徒歩約18分
京阪電車本線・天満橋駅から徒歩約19分
JR東西線・大阪城北爪駅から徒歩約21分

【お車を利用の場合】

大阪城には森ノ宮と大阪城公園前の2つの駐車場が用意されているので、お車でのアクセスも可能です。平日は空いていますが、土日祝日は早い時間帯でも混雑が予想されます。もし、この2つの駐車場が満車で駐車できない時は、近隣にコインパーキングがいくつかありますので、そちらを利用するのがおすすめです。

阪神高速道路・法円坂ICから約5分
阪神高速道路・森ノ宮ICから約5分

大阪城観光で外せない見どころ14選

ここまでは大阪城の基本となる情報を紹介してきましたが、ここからは大阪城を訪れたら絶対に見ておきたいスポットを紹介していきます。大阪城は石垣やお堀、天守が他のスポットに比べて圧倒的な存在感を放っているので忘れられがちですが、大阪城観光をより良い物にするためにも全てのスポットに立ち寄っていってくださいね。

城中焼亡埋葬墳

賑やかな大阪城公園の中で、人通りが少なく少し薄暗い所にある「城中焼亡埋葬墳」。明治維新の際に旧幕府軍が新政府軍に大阪城を明け渡すことになりましたが、旧幕府軍の中にはそれをよしとしない家臣が多く残っており、明け渡す際に城に火を放ち自害していったそうです。こちらはその行動を武士の鑑であると称えた新政府軍の主力の薩摩・長州藩の有志が建てた埋葬墳となります。

今でこそ、華やかな観光スポットとして賑わっていますが、当時は大変だったんだと思わずにはいられませんね。

蓮如上人袈裟懸の松

本願寺第八代・蓮如上人が来ていた袈裟懸をかけたとされる「蓮如上人袈裟懸の松」。南無阿弥陀仏と書かれた大きな石碑があるので分かりやすい位置にありますが、その周囲にある木々のどれかが袈裟懸の松ではありません。

実は蓮如上人袈裟懸の松は木としては残っておらず、石碑の近くに建てられた小屋の中にある根っこのことを指します。松と言われると木を探してしまいがちですが、お目当ての物は下にあるのでご注意ください。後の石山本願寺のことを考えると、本願寺ゆかりの物が残っているだけでもありがたさを感じますね。

豊國神社

大阪城内でも有名なパワースポット「豊国神社」。御祭神は豊臣秀吉公で、農民から天下人まで出世したことにあやかり、仕事運や出世運のご利益がいただけるとして人気があります。神社としてはこじんまりとしていますが、重厚な本殿の佇まいは威圧感すら感じさせます。今のお仕事に悩みがある方や出世したいと願う方は、1度こちらを参拝してご利益にあやかってみてはいかがでしょうか。

また、豊国神社には白玉神社と若永神社という末社があり、どちらも商いに関連している神社ですので、そちらも併せて参拝していきましょう。

石山本願寺推定地

大阪城の前身である石山本願寺があった場所とされることを示す「石山本願寺推定地」。石山本願寺が現在の大阪城公園内にあることは分かっているのですが、豊臣大阪城、徳川大阪城築城の際に大規模な土木工事が行われたため、はっきりとした場所が未だに解明しておらず推定となっています。歴史ファンならば歴史考察が捗るスポットですね。

大阪城・水堀、石垣

大阪城の中で天守に匹敵するほど存在感が感じられる「水堀・石垣」。このお堀と石垣は豊臣時代の物でなく徳川時代の遺構となりますが、他のお城では見られないほどの深いお堀と高い石垣に驚かれることでしょう。江戸幕府2代将軍・徳川秀忠が築城を命じた際に、豊臣時代の物より2倍大きくするようにという指示があったとされています。これは豊臣の影響力を一掃し、徳川の力を世に知らしめるためという考えからだそうです。

こうした歴史背景を考えながら眺めてみるとまた変わった発見があるかもしれませんね。

大阪城・大手門

国の重要文化財に指定され、当時の姿を今も残している「大手門」。火災や落雷、空襲などで被災した大阪城において、何度も被災を免れてきました。こちらは1628年に創建された門で、今から約400年も前の物と考えると驚きを隠せません。

門の形式は2本の柱で門を支え、その上に屋根をのせた高麗門形式という形式の門です。腐食したため根継が施されているのですが、一見不可能ではないかと思える特殊な技法が採用されています。日本でその技法が使われているのはここだけと言われているので、大阪城大手門を見る際は正面右側控柱の継手に注目して見てください。

大阪城・桜門の巨石と蛸石

大阪城を訪れたなら絶対に目に入り、その大きさに驚く「桜門の巨石と蛸石」。日本全国にお城はたくさんありますが、これだけ多くの巨石が1度に見られる場所は大阪城以外にはないでしょう。

大阪城最大の巨石はタコのようなシミ模様があることから名付けられたとされる蛸石で、畳36枚分、重さは約130トンと推定されています。蛸石の傍には第3位の振袖石もあり、こちらは推定約120トン。この辺りは大きな石がいっぱいなので、その大きさに圧倒されます。

蛸石の前では観光客がよく写真撮影をしているので、記念に1枚いかがですか?

大阪城・天守

日本にある復興天守の中で一番最初に復興されたのが大阪城の天守です。大阪城内で見られる遺構はほぼ徳川時代の物ですが、天守のモデルだけは豊臣時代のお城を再現していると言われています。豊臣時代の物を完全再現しているならば、外壁は全て黒のはずなのですが、4層までは徳川時代を彷彿とさせる白漆喰壁、第5層だけが豊臣時代の黒漆に金箔というつくりとなっているのが特徴的です。城内は歴史博物館となっており、豊臣時代の資料の展示や大坂夏の陣などに関する資料が展示されています。

大阪城・展望

城内の展示品を一通り眺めたら最上階にある展望台を目指しましょう。展望台は地上から約50mの高さにあり、大阪の街並みをグルっと360度見渡すことができます。周囲には大きなビルがありますが視界を遮るような位置にはないので、気持ちの良い景色を眺めることができるんですよ。

転落防止のため金網が張られていますが、真ん中は空いていますので写真撮影だってできちゃいますよ。展望フロアは特に人気が高く多くの人で賑わっていますので、他の方の邪魔にならないようにかつて太閤・秀吉が見たであろう景色を楽しみましょう。

残念石

大阪城の石垣の一部になるはずだったのに何らかの理由で石垣になれなかった「残念石」。大阪城内にはそんな可哀想な石たちがひっそりと展示されているんです。予備知識がない状態で見ると邪魔な石だと感じるかもしれませんが、本来なら石垣として多くの人に見てもらえるはずだったと考えると愛しさすら感じます。

残念石の中には大名の家紋や石の産地を示す文様が刻まれているので、石や歴史マニアにとっては興味深い物となるはず。北側エリアには残念石が集まる”刻印石広場”があるので、お時間がある時はそちらも回ってみてくださいね。

山里曲輪石垣の弾痕

戦争の傷跡がくっきりと刻まれている「山里曲輪石垣の弾痕」。大阪城は明治維新後、陸軍用地となり兵器を生産する軍事工場となっていた時期があります。長崎・広島で多くの犠牲者を出した戦争ですが、大阪にも戦火は広がっており、大阪城の石垣には機銃掃射によってついたとされる弾痕を見ることができます。

あまり人の訪れないエリアにひっそりと佇んでいますが、このエリアの石垣を見ると戦争の恐ろしさを垣間見ることになるでしょう。

豊臣秀頼・淀殿自刃の地の碑

大坂夏の陣にて徳川軍に追い詰められた当時の大阪城城主・豊臣秀頼とその母・淀殿が自刃した地を示す「豊臣秀頼・淀殿自刃の地の碑」。先ほどご紹介した山里曲輪の付近にあるスポットで、注意して回らないと見逃してしまうかもしれません。豊臣秀頼・淀殿の自刃に関しては諸説ありますが歴史的にも重要な場所なので、歴史ファンの方は忘れずにお参りしていきましょう。

淀君並殉死者三十二名忠霊塔

大阪の陣で殉死した方々を祀る「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」。こちらの忠霊塔も賑やかな天守前とは違い、人通りの少ない所にひっそりとありますが、歴史ファンならば避けて通ることはできません。祀られている三十二名の中には真田幸村の息子・真田大輔や豊臣方の有名武将・大野治永などの名前を見ることができます。

2016年に放送されたNHK大河ドラマ真田丸で登場していた人物も、この忠霊塔の中にいるので大河ドラマ好きの方にとっても大切な場所ですね。

大阪城
住所:大阪府大阪市中央区大阪城1−1
営業時間:9:00~17:00
電話番号:06-6941-3044

まとめ

大阪の人気観光スポット「大阪城」をご紹介しましたが、いかがでしたか?大阪城はいつも観光客で賑わっているので、華やかなイメージが強いですが、1つ1つのスポットを細かく見ていくと悲しい物語も眠っています。しかし、それもまた歴史あるスポットを巡る醍醐味です。石垣やお堀、天守は存在感が抜群で見ているだけでもワクワクしてきますが、各所に点在しているスポットも忘れずに回り、大阪城観光を楽しんでください。